かつて神奈川県の平塚市に存在した荒れた公立高校「神田高校」。

当時は県外からも日本屈指の不良高校として知られてました。

男子生徒は明るい髪色、腰パンは当たり前で、なんなら私服か?という格好で投稿する子ばかりでした。女性生徒はスカートの短さが極端でワカメちゃんフォエバーな生徒が多かったそうです。

部活動も当然、どの部活も不真面目でした。

そんな中、ある時にテレビで野球部のドキュメントが放送されたのです。

そのドキュメントは色んな意味で衝撃的で、地元の方だけでなく、全国の高校野球ファンを虜にしたのです。

テレビで放送された神田高校野球部の奇跡

神田高校は極端に偏差値の低い高校で有名で、素行の悪さは地元で知られてました。

野球部は人気のスポーツなので、毎年辛うじて公式戦に参加できるぐらいの人数はいたみたいですが、試合の結果は散々でした。

そんな中、突然赴任して来た先生によって、野球部の雰囲気が一変したのです。

その先生の名前こそが松山大介監督なのです。

神田高校野球部に在籍してる生徒はそれぞれ過酷な境遇を抱えていました。佐藤和哉くんは修学旅行にも行けないほど貧しい家の子、丸山くんは父が家をバイトして生計を立ててるという。

松山監督は高校教師としても異例の経歴を誇り、中央大学卒業後に大手通信会社に就職し高給取りなサラリーマンをやっていましたが、何か満たされない思いで、もともと野球に対する未練の気持ちから教員の道に走り、神田高校野球部の監督になったのです。

就任した最初は練習試合に負けても悔しさを見せない部員に叱咤したり、人として人生に大切なものを全身で伝えていきました。

佐藤くんは深夜まで素振りを頑張ってたり、徐々に選手たちは変わっていったのです。

二番手投手の田中寿明投手と正捕手の田中寿弥くんは双子の兄弟。母親は出ていってしまい父子家庭で育ちました。自分らが特集されカメラを回されることに対しては、自分らと同じ境遇の子達に勇気を与えたいと語っていました。

2点を追う神田の9回。四球で出た一塁走者の田中寿弥君(3年)は、三塁コーチャーに入った双子の弟寿明君(3年)が腕をグルグル回すのを見て、迷わずホームに突っ込んだ。

セーフ。9回2死走者なしからの逆転につながった。松山大介監督は「正直、負けを覚悟していた」。そんな試合をひっくり返した。

3回からマウンドに登った寿明君は、3回こそ5四死球と肩に力が入ってしまったが、捕手の兄から「ちゃんと腕を振って投げ込んでこい」と言われて楽になった。4回以降は、8回を終えて降板するまで四死球なし。試合の流れを呼び込んだ。

寿明君は生まれつき右の手首から先がない。投球する時はグラブを右のわきの下に挟み、投げ終わるとすぐに左手に持ち替える。4回は強い当たりのゴロを難なくさばき、ハンディを感じさせなかった。

主将を務める寿弥君は2長打を含む3安打と活躍した。松山監督は「チームを引っ張ってくれた」。チームは双子の活躍で3回戦に駒を進めた。引用:朝日

神田高校は後半の粘りで徐々に追い上げ、結果的に逆転勝利を収めたのです。

不良高校がまさかの初戦突破ということで、ドキュメントが放送される前から地元の新聞で大きく取り上げられました。

神田高校の部員と松山大介監督の現在

番組の中では神田野球部の子のその子の進路がやんわりと伝えられてました。

佐藤選手は自動車関連の会社に入り、田中双子の弟はガラス瓶の会社に入りました。

そして松山監督は伊志田高校の監督に就任し、そこで弱小校を復活させる偉業を成し遂げてます。

2016年には神奈川の伊志田高校の監督として2回戦突破し、同校初の4回戦進出を賭け話題となりました。

伊志田高校は長く公式戦で白星のなかった高校で、松山監督が就いて以来、1日千スイングを目標に打撃アップし、打ち勝つ野球を目指してました。実際に夏では初戦と2回戦で大量得点で勝利を達成しました。

この日の試合前、松山大介監督は「俺たちにとっては甲子園出場がかかったに等しい試合だ」と選手らにげきを飛ばした。

技巧派左腕の松尾が粘投し、五回までは1-1の接戦を演じたが、六回に4失点。打線も再三の好機であと1本が出ず涙を飲んだ。

試合後、松山監督は「今日の勝負には負けたが、人生の『次の勝負』には勝ってほしい」。新たな歩みを始める教え子たちにエールを送った。引用:産経ニュース

その後、また別の高校で指導されていたそう。

2017年には大和南高校の部長として発見されてます。

甲子園に行く監督さんだけが名将というわけではなく、高校野球の監督には様々な形の名将がいるのです。

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